再開

1: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/12/06(火) 19:12:23.65 ID:CAP_USER9
 来年春ごろから芸能活動を再開させることを発表した元・モーニング娘。の道重さゆみ(27)が6日、自身のブログを更新し「たくさんのいいね!、コメント、本当にありがとうございます」と感謝の言葉をつづった。

 約2年間、芸能活動を無期限休養していた道重は「13歳から25歳までの約12年間、モーニング娘。に在籍し、それまでモーニング娘。が大好きという気持ちだけでやってきて、とにかくモーニング娘。が全てだったので、これから1人で何をしていくのか、したいのか、できるのか、、、休業中に自分自身と向き合いじっくりゆっくり考えていました」と“空白”の期間について告白。

 その間に「たくさん考えた」といい「またみなさんの前で歌って踊りたい!!歌は苦手だけどやっぱり好き!そう思いました」と結論に至ったとし、復帰を決断。しかし一方で「正直な気持ちを話すと流れの早い芸能界、、忘れられてたら。。とか、ネガティブな気持ちからなかなか抜け出せませんでした」と葛藤があったことも明かした。

 「そんな中、休業中にも関わらず、ブログに増え続けていくコメントを見たり、去年と今年の私のお誕生日に私の名前がツイッターのトレンド入りしてるのを見たり そのほかにもたくさん! 休業している2年間もみなさんからの愛をたくさん感じていました」と支え続けてくれたファンに感謝した道重。

 「勝手に休んでいつ復帰するかもわからないこんな私のことをずっと待ってると言ってくれたファンの方、ずっと大好きだと言ってくれたファンの方、何度も何度もみなさんの顔が頭に浮かんできました」と続け「休業中支えてくれたのも、道重再生を背中押してくれたのもファンのみなさんです!本当にありがとうございます」と重ねて感謝の言葉を記した。

 先日の“再生”の発表から「想像以上に反響が大きくて、喜んでくれる方の声を聞いて、とってもとっても嬉しかったです」と素直な思いも明かし「早くみなさんに会いたいですっ◇◇◇◇」(◇=ハートの絵文字)と気持ちをぶつけると「これからもよろしくお願いします」と呼びかけた。

 道重は2002年12月に1万4000人が応募したモーニング娘。のオーディションに見事合格し、13歳でデビュー。03年には、田中れいなとともに“平成生まれ史上初”となる『NHK紅白歌合戦』出場を果たす。その後もモーニング娘。の一員として活躍を続け、2012年には8代目リーダーに就任。14年11月26日にモー娘。を卒業し、その後、芸能活動を無期限休養。先月26日にブログを通じて芸能活動を再開させることを発表した。


http://www.oricon.co.jp/news/2082628/full/
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1: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/11/26(土) 12:45:32.66 ID:CAP_USER9
元「モーニング娘。」のリーダーで、芸能活動を休止していた道重さゆみ(27)が、
2014年11月26日のグループ卒業から2年を経た26日、自身のブログで来春から
活動を再開することを発表した。

「いちから」のタイトルでエントリーした道重は
「早速ですが、発表させてください。道重さゆみ…再生します!!」と発表。そして
「と、いっても今すぐにではなく、来年春頃にさせていただきます。ライブとはまた違う、、
新しい感覚のパフォーマンスを目指しています」と予告し、
「また1から頑張っていくので、これからもよろしくお願いします」と意気込みを
つづっている。

道重は卒業以来沈黙を続けていたが、今年10月2日に「みなさん」のタイトルで
675日ぶりにブログを更新。「お久しぶりです。更新、、、してみた」という2行のみ
だったが、ファンからは4000件を超える歓喜のコメントが殺到した。

その後は10日後、9日後…と25日まで9回に渡ってブログが更新されたが、
各エントリーのタイトルは

10月2日 「みなさん」
10月12日「ちなみに…」
10月21日「しんごうき」
10月29日「げーむ」
11月5日 「さかな」
11月11日「ゆうじゅうふだん」
11月16日「みくじ」
11月20日「さらだ」
11月23日「いるみねーしょん」
11月25日「せめてものおもい」

となっており、頭文字を読むと「み・ち・し・げ・さ・ゆ・み・さ・い・せ」。
26日に「い」から始まるタイトルでブログを更新し、暗号「道重さゆみ再生」が
明かされるのでは…と話題となっていた。この日のタイトルは「いちから」だったことで、
暗号が完成した。

道重は03年1月に「モーニング娘。」に加入。12年5月に8代目リーダーに就任し、
一時低迷したモー娘の再興を支えた。グループ在籍期間は歴代最長の4329日。

http://m.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/11/26/kiji/K20161126013791500.html
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1: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/07/28(木) 10:36:24.36 ID:CAP_USER9
 歌手活動を再開させるシンガー・ソングライター大黒摩季(46)の復帰第1弾となる最新曲
「Higher■■Higher■■」が、来月10日から音楽配信されることが27日、分かった。
曲のテーマは「世の中の大人よ、“熱くなれ”」。自らの復帰とともに、
同世代を鼓舞するパワフルなメッセージソングだ。

 大黒が、休止期間に募らせた思いを解き放つ。アップテンポのリズムに乗せ、
サビでは「Higher Higher」と歌い上げる。
96年アトランタ五輪のNHKテーマソング「熱くなれ」をほうふつとさせるような、
体も気持ちも自然に動きだす爽快なメッセージソングだ。

 大人の遊び心も詰まっている。歌詞の中に「熱くなれ」「チョット」「DA・KA・RA」と、
かつてのヒットシングルのタイトルがちりばめられている。

 “熱くなれ”と歌ったあの頃の私達

 夢や希望が滾(たぎ)っていたから

 チョットくすぐられただけで燃え上がれていたよね

 今じゃ何も夢中になれない DA・KA・RA

 大黒は新曲に込めた思いを「この歌に乗り込んで、私と共に、もう1度あなたも、
人生の前線復帰してみませんか? 中年よ! 熱くなれ!」と話す。

 子宮疾患の治療や不妊治療のため、10年11月から活動を休止した。その間、母親の介護と向き合い、
音楽専門学校の講師として、音楽を志す若者たちの心の声も聞いた。東日本大震災、
熊本地震など大規模な自然災害も発生。今の時代に必要なものは、大人がもっとかっこよく、
熱くなることだと強く感じた。「たとえ失敗したって、きっぱり謝って、また立ち上がる大人とか、
追いたくなる背中になることが、今一番大事なこと。カッコイイ大人が増えれば、子供は憧れ、
夢を見るはずです」。気持ちは自然と復帰へ傾いていったという。

 ボイストレーニングなどを行っていた今年3月、米ロサンゼルスで新曲のメロディーを作り上げ、
その後、歌詞を書き上げた。

 来月11日に札幌・ベッシーホールでファンクラブ限定ライブを行い、同13日に石狩湾新港樽川ふ頭で
開催される「ライジングサン・ロック・フェスティバル」に出演するが、新曲の披露も期待される。
同曲は現段階では配信限定で、CD化は未定。
※■は右斜め上への矢印
 ◆大黒摩季(おおぐろ・まき)1969年(昭44)12月31日、札幌市生まれ。92年シングル
「STOP MOTION」でデビュー。2枚目シングル「DA・KA・RA」がミリオンヒットして日本レコード大賞新人賞。
代表曲は「あなただけ見つめてる」「ら・ら・ら」など。03年に会社員と結婚。
15年に民事再生に向けたスカイマーク・エアライン応援歌など楽曲提供も多数。

日刊スポーツ 7月28日(木)8時10分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160728-00000038-nksports-ent
復帰後初の新曲の配信が決まった大黒摩季
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1: 名無し募集中。。。@\(^o^)/ 2016/07/06(水) 20:45:51.67 ID:CAP_USER9
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今でこそベテランのアイドルヲタクのような顔をしている私だが、初めてアイドルと握手したときはビビリまくっていた。

 誰かに(←誰にだ)見つかったらやばいと思い、変装をしていたし、その前にも何度か「握手しよう」と思ったアイドルはいたが、
気恥ずかしさが先に立って、踏ん切りがつかなかったのだ。

 そんな中、「それでも握手がしたい!」という気持ちが勝って、初めて握手をしたのが、酒井法子だった。28年前の春のことである。

 今年の7月1日、酒井法子のファンクラブサイトが7年ぶりに再開された。

 事前に、サイトの再開と30周年記念コンサートのことがYahoo!ニュースなどで報道されたものの、その後の高知東生逮捕などの影響もあり、あまりよい展開とはならなかった。

 実際、当日の事務所からの通知も、代表の廣瀬洋二郎氏によるTwitter(?@HiroseYoujiro)の
「本日酒井法子ファンクラブサイト復活致しました。」との一文のみ。
ネット上でも「介護の話はどうなった?」「ブログが有料とはセコすぎる」などと、散々な書かれようだった。

 でも、違うのだ。

 本人の魅力が勝っていれば、その手法や金額など大きな問題ではない。私は彼女がまたこの世界に帰ってきたことが、ただただ嬉しい。

 では、私がそこまで惹かれている、酒井法子の魅力とは何か。

 酒井法子は1985年、14才でオーディションに入賞し、芸能界入り。デビュー当時の彼女は、とにかく「元気な女の子」というイメージだった。

 デビュー曲「男のコになりたい」(ビクターエンタテインメント)にしても、初期の代表曲「夢冒険」(ビクター音楽産業)にしても、
聴く者に元気や勇気を与えるものだったし、当時作られていたビクターの甲子園ポスターに起用されたのも、そのイメージがぴったりだったからだろう。

 しかし、当時から彼女はいろいろなものを抱えていたのだと思う。

 中学生でサンミュージックに入り、社長の自宅に下宿をしていたとき、事務所の、そしてアイドルとしての先輩である岡田有希子が自ら命を絶つ。

 それを目の当たりにした少女は、一体何を思っただろう。

 自分と同じ家に暮らして、自分と同じ仕事をしていた女性が自殺をした。
そして、自分はその同じ道を歩まねばならない。その覚悟は、想像を絶するものであったに違いない。

 彼女はそこでも逃げる選択はしなかった。

 なぜなら彼女には逃げる場所などなかったから。

 覚せい剤の事件があってから、彼女の生い立ちや複雑な家庭事情が報道されたが、あの頃のファンは、
そのあたりのこともみんな知っていた。それも含めて、芸能界で戦っている彼女を応援していたのだ。

 そして、彼女がレコードデビューした後、時は「アイドル冬の時代」へと入っていく。そんな中で、
「正統派アイドル歌手」として、彼女はまた新たな戦いを強いられることになるのだ。

 ヒット曲こそなかったが、この頃の彼女の曲は名曲が多かった。アイドルとして戦いは続けていたものの、
少しずつ肩の力も抜けてゆき、「女性としての優しさ」や「素敵な恋の情景」などを見事に歌いこなし、着実に「表現者」としての幅を広げていった。

 正直、彼女が時折、淋しそうな、そして辛そうな表情を見せることがあるのに気づいてはいた。
ただ、ファンである私たちにできるのは、いつかそんな彼女の努力が実を結ぶことを祈り、応援することだけだった。

続く

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